糖質制限したら、こうなった

糖尿予防のための糖質制限実践ブログ

糖質制限を続ける技術

なぜ糖質制限は難しいのでしょうか?なぜ続けるのが難しいのでしょうか?

今回は、この点について少し小難しく考えてみます。

糖質制限が困難な理由として、人類進化と農耕発展との関係からみた、以下のような一説があります。

過去、良質のエネルギー源である糖質を含んだ食べ物は貴重であった。

糖質をおいしいと感じる味覚(遺伝子)を持った者が生き残り、進化した。

人類は農耕を発明し、糖質の豊富な穀物を自力生産できるようになった。

近代に入り、穀物生産力が急上昇した。

安い糖質製品が市場にあふれるようになった。

人類は糖質中心の生活を送るようになった。

糖質はおいしくて安いゆえに、簡単にやめられなくなった。

つまり、人類がもともと持っていた糖質を好む性質と、現代の糖質リッチな食環境とが合わなくなってしまった、ということです。

この説は進化論と人類史を根拠にしたもっともな説明なのですが、もう一つ別の角度から理由を考えてみます。

そもそも、なぜ人類は糖質を摂るのでしょうか?なぜ、わざわざ食事をするのでしょうか?

生物学的理由としては、エネルギーの調達、生存のためです。これが特に間違っているとは思いません。

一方、そうした科学的解釈から離れて、人間の主観ベースの、より実存に即した説明をするならば、こうも言えるんじゃないかと思います。

人間は、退屈だから食べる、と。

つまり、暇だから、何も口に入れないのは手持ち無沙汰だから、何か食べていないと不安だから、人間は食事をするのです。

どうしてこんなことを考えたのかというと、糖質を意識して食材を選んだり、あーだこーだと注意しながら食事をしていた時に、ふと頭をよぎったのです。なんで、食事ってこんなに面倒くさいのだろう、と。

続いて、こんなに面倒なのにそれでもなぜ食べようとするのだろう、カロリーベースなら毎回同じ物ばかり食べても栄養は足りるはずなのになぜそのうち飽きるのだろう、等々、根本的な疑問がふつふつと沸いてきました。

で、その答えとして自分で納得できたのは、食べないと退屈だから、ということでした。

”生きる”ことがこの世の暇つぶしならば、捕食という生存に必須の行為は、生物種にとって長らく、唯一最大の暇つぶしでした。食って寝る、そしてたまに生殖するくらいしか、やることがなかったわけです。

が、それが簡単に実現できるようになり、逆に栄養過多に苦しむようになった現在、捕食に代わる新たな暇つぶしを見つけ出さない限り、人は”生きる”ことができず、肥え太って自滅してしまうでしょう。

これからの時代、食事以上に大事なこと、面白い暇つぶし対象を見つけた人間が、より健康に生きられるのではないでしょうか。

とういわけで、結論です。

糖質制限を続けるためには、どうすればよいのか?

それは、食べること以上に大事なこと、ハマることを見つけるです。食事を忘れるくらい、食事なんてなんだって良いと思えるくらい、何か夢中になれることをやればよいのです。

もちろん、すぐに見つけることは難しいかもしれません。そういったさまざまなハマる対象は、意識というよりも、タイミングとか出会いとかが大きいとも思います。

ただ、先日血糖値を測っていて感じたのは、食事そのものよりも、測ることが面白い、値の変化を確かめることが楽しい、ということでした。これは食事に近い領域ではありますが、食事から一歩離れた楽しみ方です。

究極は、食に対する執着そのものから離れること、食べ物にまったくこだわらなくなることがベストでしょうが、こうやって測定や管理を楽しむことから始めて、食事そのものから一歩ずつ段階的に離れていくのも賢いやり方かなと思います。


このブログは、今回の記事で最後にすることにしました。

最初は、漠然と個人のメモ目的ではじめましたが、思った以上にアクセスがきてうれしかったです。

応援ありがとうございました。